今週末にはIJET-25が開催されます。 ネット上でも参加者たちのソワソワした感じが伝わってきます。私は残念ながら参加しませんが、多くの友人が参加する予定です。会議に関わるすべての方々にとって、素晴らしい2日間となることを祈っております。
さて、タイトルにした「コミットするということ」について、少しお話ししたいと思います。
「コミット」というカタカナ語は最近よく見かけるようになりました。
コミット
(1)関係すること。参加すること。かかわり合うこと。
『大辞林』三省堂
辞書的には上記の意味ですが、「コミット」は「責任を持って深くかかわること」というもう少し強い意味で使われることが多いようです。
先日、このようなツイートをしました。
大切なのは自分にどんなメリットがあるかではなく、自分がどうコミットできるか、だと思うけどなぁ。そう考えないと参加してもつまらない。(後略)
— しんハム (@SHINHAM3) 2014, 6月 11
たしか、JATかJTFに参加することのメリットに関するツイートを見た後、ふと思ったことです。
JATやJTFに参加する場合だけでなく、私たちは何か行動を起こす前に、そのメリットについて考えがちです。「そうすることに何のメリットがあるのだろう」、「あまりメリットがないんじゃやめておくか」、「もう少しメリットがないと」等々。その行動に対する対価を考えるわけです。こう考えることは自然なことですし、何事にも「メリット」や「デメリット」があるのは確かです。それを両天秤にかけてプラスであればOK、マイナスであればNOとする。コストとパフォーマンスを比べ、いわゆる「コスパ」が良ければ「買い」。論理的な考えではあります。
これを否定するつもりはありません。
ただ、 「メリット」と「デメリット」で判断すると、結局はその差しか得られないのではないかと思います。「メリット」の有無や「コスパ」の良し悪しだけを基準にすることが本当に正しいのでしょうか。「メリットが大きい」、「コスパが良い」からで選択したものは、本当に「選択したかったもの」なのでしょうか。
「自分がどうコミットできるか」を考えてみるのが大事なのではないかと思うのです。
参加しただけで得られるものと積極的に関与することで得られるものとでは大きな違いがあります。ただのメンバーとアクティブ・メンバーでは満足感、達成感が違います。
「コミットする」というと、大げさな感じがしますが、ほんの些細なことで良いと思います。たとえば、
ボランティアに参加する
アンケートに答える
質問をする
など
自分から何らかの関わりを持つことが大事なことだと考えます。
実行するのが難しいですか。なら、気持ちだけでもコミットしてみてください。きっと世界が変わると思いますよ。
どこにも入会していない私が言っても説得力に欠けることは重々承知しております、ハイ。
まとまりがつきそうにないので、今回はこの辺りで。
そろそろ翻訳関連のことも書かないとねぇ…
では、また。
P.S.
IJETに参加する皆さん、こぴっとコミットしてきてくださいね~
結局、これが言いたかっただけ(殴